夜を駆ける
シャワーを浴びて、手早く準備をすると、車に乗り込む。ハンドルは冷たい。震えながら山道を駆けていく。しばらく走らないと足元を温める暖房も冷たいままだ。
途中で眠くなるのを防ぐために窓は全開だ。カチカチと歯の奥を鳴らしながら運転していく。
30分ほど山道を走って、無人の自販機コーナーにつくと、ようやく一息つける。
今日も無事、点滴がとれますように。静かにそう思いながら、コーンポタージュスープを飲む。
急がなくてはならないのはわかってる。朝の1分は夕方の30分にも相当する。でも少しだけ、心を落ち着かせる。そうしないと毎日がつらい。
点滴をとるときは手が震える。いくら数をこなしても、やはり緊張するし、本態性振戦もあるからだ。震える人に点滴なんて入れられたくないだろうな、なんて考えながら一回で成功するように慎重に針を進める。
もう祈りの言葉なんて忘れた。だけど点滴の針を進めるとき、僕は確実に祈っている。
こんな数ヶ月を送っていた。
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二度とは行かぬ場所。

いつも使ってた、印鑑付きのボールペンをスクラブに付けたまま、クリーニングに出してしまったことに気づいた。びわ湖医科大学から卒業記念にもらったものだ。
クリーニング業者に電話して回収しようと院内PHSを取り出して、電話するのをやめた。
まぁいいか。
僕はびわ医には受け入れてくれたことを感謝しているものの、マッチング面接の際に手ひどくやられてなんだか複雑な想いを持っているのだ。
マッチング面接のとき、留年したことをこっぴどく追求され、暗に来るなと示された。留年したことだけではなく、再受験したことまでも否定された。
もう二度と行くものか。
どうして留年したの?
二人がかりで何回も追求され、こてんぱんにやられた。元々マッチングの滑り止めとして受けたからいいものの、大学病院で大勢で楽しく研修するという淡い想いはなくなった。
持病のせいで計3年以上は寝込みました。留年中は歯を磨く気力さえなくて、奥歯を二本失いました。
どんだけ言おうか迷った。でも言ったところでかえって逆効果だったろう。
医者は医者の病気に厳しい。
マッチング面接を終えて、僕はもう二度とここには来ないんだろうなと思った。免許をとったらさようなら。
勉強を終えて、夜のびわ湖沿いの道路をドライブ。かけがえのない時間だったけれど。
若い頃は今いる場所をやがて苦々しく思い出すなんてことがあるとは思いもよらなかった。
そんなことを想いながら、PHSをしまい、アマゾンで新しい印鑑付きのボールペンを注文した。
いつの日かこの場所を出ていく
僕ら、だから
まぁそんなもんか。
「実習に来ている看護学生の挨拶を無視する」
これは看護師のデフォルトらしい。一部の病院だけかと思ってたけど、研修先の病院で見かけた。挨拶を無視するって何か人間としておかしいんじゃないかと思うのだけど、雰囲気の悪い病院では当たり前に行われている。
救急実習では荷物を休憩室に置かせてもらえなかったりした。なので水を飲むことも許されず、16:30まで休憩なしということがあった。夏の暑い時期だったから、フラフラになりながら脱水症の患者さんの対応をしていたが、その奥の休憩室では看護師たちが和気あいあいと談笑していた。
その部署の師長は上の医師には媚を売り、研修医には自分がやるべき雑用を押し付けていた。採血に手間取ってたりしたら無言で体当たりをしてきたり。
まぁこんなものかもしれない。
こんな病院に残るわけがない。残ったとして、ガラッと対応を変えられても気味が悪いだけだ。
思えば癖の強い医療者ばかりが集まった病院だった。挨拶をしない医師は当たり前のようにいるし、患者さんの食事量が足りていないので変えてよいかと許可をとったら吐き捨てるように、「そんなもん、どうでもええわ」と言われたり。
サラリーマン時代と比較すると、医師のほうが金銭的にもやりがい的にも恵まれているけど、おかしな人間がいる率が高いのは病院だと思う。パチンコとキャバクラの話しかしなかったサラリーマン時代の上司が可愛く思えてくるほどだ。
多分違いは客商売かそうじゃないかなんだと思う。黙っても患者さんがくる、地域医療の要みたいな病院だから。これが競争率の高い、都会の病院とかだとまた話は違うのかもしれない。
地域医療に関わる医療者というと、Dr.コトーみたいなのを思い浮かべるのだろうけど大きな間違いだよなぁ。
医療者が聖人君子である必要はないけれど。大きな期待を持って医療現場に入ったから、その分ショックも大きいのかもしれない。
まぁまだ道のりは長い。医者を単なる生きていくための職業と捉えるのもつまらないし、かと言って自分の人生を投げ売ってまで入れ込むのも違うと思う。程よいバランスで仕事ができるようになるといいな、と雨の日に思うのであった。
これは看護師のデフォルトらしい。一部の病院だけかと思ってたけど、研修先の病院で見かけた。挨拶を無視するって何か人間としておかしいんじゃないかと思うのだけど、雰囲気の悪い病院では当たり前に行われている。
救急実習では荷物を休憩室に置かせてもらえなかったりした。なので水を飲むことも許されず、16:30まで休憩なしということがあった。夏の暑い時期だったから、フラフラになりながら脱水症の患者さんの対応をしていたが、その奥の休憩室では看護師たちが和気あいあいと談笑していた。
その部署の師長は上の医師には媚を売り、研修医には自分がやるべき雑用を押し付けていた。採血に手間取ってたりしたら無言で体当たりをしてきたり。
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思えば癖の強い医療者ばかりが集まった病院だった。挨拶をしない医師は当たり前のようにいるし、患者さんの食事量が足りていないので変えてよいかと許可をとったら吐き捨てるように、「そんなもん、どうでもええわ」と言われたり。
サラリーマン時代と比較すると、医師のほうが金銭的にもやりがい的にも恵まれているけど、おかしな人間がいる率が高いのは病院だと思う。パチンコとキャバクラの話しかしなかったサラリーマン時代の上司が可愛く思えてくるほどだ。
多分違いは客商売かそうじゃないかなんだと思う。黙っても患者さんがくる、地域医療の要みたいな病院だから。これが競争率の高い、都会の病院とかだとまた話は違うのかもしれない。
地域医療に関わる医療者というと、Dr.コトーみたいなのを思い浮かべるのだろうけど大きな間違いだよなぁ。
医療者が聖人君子である必要はないけれど。大きな期待を持って医療現場に入ったから、その分ショックも大きいのかもしれない。
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なんとか乗り越えて。
ひどい時期もなんとか乗り越えて今に至る。
パワハラ指導医がついていた1ヶ月は本当にしんどかった。受けたダメージが回復するまで3ヶ月はかかった。ご飯の味がしなくなっていて、不眠になって。明らかにうつ状態であった。どんな指導医がつくかは運によるので、こればっかりは防ぎようがないと思う。何回見学したって、指導医になる医師がどんな性格なのかなんてわかりようがない。「同僚となる研修医数が多いからお互いに支え合ってなんとかなるだろう」というのは通用しない。同期に恵まれてもパワハラ指導医に当たると逃げ場はなく、一対一で指導医が納得するまで詰められるだけなのだ。
研修医は最大90日間は研修中断できるので、それを利用するという手もあったが、そうすると研修期間が3年になる可能性もあったので利用できなかった。また、研修先を変えるという方法もあったが、研修中断者を受け入れてくれる病院は多くはないし、受け入れてくれる病院は特殊な病院ばかりだったので断念した。第一、手続きが煩雑なのだ。基本的に一度決めた研修先を変えることはできないと考えておいたほうがいいと思う。
人によると思うけど、一番キツイとされてる救急の研修も終わり、症例レポートも書き終えて、あとは添削してもらい、提出するのみだ。
小泉首相が昔言っていたことだけど、「人生には上り坂、下り坂、そしてまさか!がある」は本当だ。まさか!は誰にでもある。そのまさか!に出くわして苦しんでる人を見かけたら批判せず、つらい気持ちに寄り添える人でいたい。
このブログの読者は多分、医学部再受験を目指す人で、その中の何人かは実際に医学部に合格するのだろう。その人たちがパワハラ指導医に当たらないことを切に願う。
パワハラ指導医がついていた1ヶ月は本当にしんどかった。受けたダメージが回復するまで3ヶ月はかかった。ご飯の味がしなくなっていて、不眠になって。明らかにうつ状態であった。どんな指導医がつくかは運によるので、こればっかりは防ぎようがないと思う。何回見学したって、指導医になる医師がどんな性格なのかなんてわかりようがない。「同僚となる研修医数が多いからお互いに支え合ってなんとかなるだろう」というのは通用しない。同期に恵まれてもパワハラ指導医に当たると逃げ場はなく、一対一で指導医が納得するまで詰められるだけなのだ。
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小泉首相が昔言っていたことだけど、「人生には上り坂、下り坂、そしてまさか!がある」は本当だ。まさか!は誰にでもある。そのまさか!に出くわして苦しんでる人を見かけたら批判せず、つらい気持ちに寄り添える人でいたい。
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~病畜編その6~「汝、7の7倍まで許せ。それ以上は許すな。」
罵倒され家に帰り寝る、起きる罵倒される。
そんな日々を繰り返していた。
ある日、起きて僕は心が壊れたことを自覚した。
朝食を食べても味がしない。
何も感情が湧き上がらない。
まるで心の電池を抜かれたようであった。
この感覚は何度も味わったことがある。また心が壊れたのだ。
こうして僕は生きる屍研修医として毎日病院に通うことになった。
休みたい、でも休めない。
詰め所では看護師さんたちが和気あいあいと仕事している。楽しそうだ。でも僕には楽しいと感じる力もなくなった。
自然回復を待つしかないのか。
「どこまで続くぬかるみぞ・・・」
そう僕はつぶやきながら能面のような顔をしてタバコを吸うのであった。
もう文章を書くのもつらい。誰も助けてくれない。
思えば毎日罵倒されていたのに誰も助け舟やら慰めやらをしてくれなかった。ここはそういう場所なのだ。間違えた場所に来てしまったのかもしれない。でもどこに行けばいいのかもわからない。
もう考えるのを止めよう。これが病畜の完成形なのかもしれない。
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