次元大介@医者してMUSCLE!

我、医学部再受験成功シ、医師トナル。知力ヨリモ体力。

医師仮免許卒業。

いろんなことがありまして・・・でもようやく医師免許の仮免である、初期研修医という立場から脱却できた。
おめでとう、僕。

楽しいときもあったに違いないけど、今はつらい思い出ばかり思い出してしまって楽しかったことなど思い出せない。

うれしかったのは僕のブログを読んで、心配したリアルの知り合いが連絡を取ってくれたことだ。あれは嬉しかったな。

おかげでなんとか生きている。

就職先の病院はとてもいい待遇で、仮免上がりの僕を受け入れてくれた。これからはその恩義に報いるように働いていこうと思う。


僕が再受験していた頃にはブログは数個くらいしかなかった。それが今や検索してみるとたくさん出てくる。勉強法などの道標を示す目的で始めた僕のブログの役目ももう終わりつつある。

じゃあこれからは何を書いていこう。

「書きたいように書けばいいんじゃない?」

それがいいかもね。

今いる街は歩いてショッピングモールに行ける。そのショッピングモールの雰囲気が、琵琶湖付近に住んでいたときのショッピングモールと似ているもので、とても懐かしい気持ちにさせる。
何年も寝込んだり、留年させられたりと苦い思い出もあったはずなのに。

今日、大きな桜の木がある公園でひとりジャスミン茶を飲んでいた。いつまでもいつまでも桜を眺めていた。IMG_20210330_174431 (1)

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僕はそんなに長く生きれない。

20210129132827e94.jpg 僕はそんなに長く生きれない。 健康的に働けるのはあと20年もあるだろうか。数年おきに年単位で寝込んでいた自分のサイクルも考慮すると、もっと短いかもしれない。

となると医者人生をどう生きるのか。これは僕と同じように30代で医学部に入った人なら考えることだろう。 9割の研修医は専門医過程に入るらしい。
 
正直、残りの1割になるのは怖い。だけど専門医過程に入っている間はあまり給料もよくないし(医者としては、の意味)、専門医を取ったといっても給料が格段に上がるわけではない。果たして専門医は十分ペイするのだろうか。寝込んでいる間は無給になるのだから、その分貯金ができるような進路を取ったほうがよいのではないだろうか。

それに・・・正直、指導という名のパワハラに合うのが怖い。スーパーローテーションの初期研修だから1ヵ月単位で済んだ。しかし後期研修となると年単位でパワハラに合う可能性もある。そうなったら多分もう助からない。10年くらいかけて実現した、医師として働くという夢が潰れてしまう。それだけは避けたい。

だけど精神科医のように薬だけではなく、交流によって人を元気にさせるような働き方をしたい。

そう悩んでいるとき、友人が訪問診療を勧めてくれた。病院に行きたくても距離的・体力的に行けない人のもとにいって治療をする働き方だ。これはいいんじゃないか、と思った。

そこからは就職あっせん業者を頼った。しかし初期研修上がりで雇ってくれるようなところはなかなか見つからなかった。それでも数件、面談をしてくれる病院があったので当直上がりを利用して何個か面談をした。

最初の病院は給料はべらぼうによかった。しかし、病棟を持たなくてクリニック単体。一人で車に乗って、採血とかも一人でするスタイル。これはしんどいな~と思った。次の病院は卒後3年にしては高給。病院の訪問診療部に属して、週4で病棟管理、残りを訪問診療するスタイル。これはいいんじゃないか、と思った。

医師として肩書のない人生を歩むのは勇気がいることだ。できれば専門医を取りたかった。しかし年齢がそれを許さない。

 別に再受験をしたことを後悔しているわけではない。ストレートで医学部に入ってたらたぶん中退していただろう。

 人生は戻ることができない。前に進むしかないのだ。僕はそんなに長く生きれない。残りの人生をうまく活用するしかない。

 朝、レオパレスを出て川を渡る。川を渡るときが一番寒い。渡りきったら、なにかいいことあるかもしれない。そんな心の遊びをしながら毎日大病院に通っている。
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夜を駆ける

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朝5時に起きて、出かける用意をする。採血やら点滴やらがあるからだ。タバコを2本吸うと部屋に戻る。海沿いの町は朝は寒くてガタガタ震える。

シャワーを浴びて、手早く準備をすると、車に乗り込む。ハンドルは冷たい。震えながら山道を駆けていく。しばらく走らないと足元を温める暖房も冷たいままだ。

途中で眠くなるのを防ぐために窓は全開だ。カチカチと歯の奥を鳴らしながら運転していく。

30分ほど山道を走って、無人の自販機コーナーにつくと、ようやく一息つける。

今日も無事、点滴がとれますように。静かにそう思いながら、コーンポタージュスープを飲む。

急がなくてはならないのはわかってる。朝の1分は夕方の30分にも相当する。でも少しだけ、心を落ち着かせる。そうしないと毎日がつらい。

点滴をとるときは手が震える。いくら数をこなしても、やはり緊張するし、本態性振戦もあるからだ。震える人に点滴なんて入れられたくないだろうな、なんて考えながら一回で成功するように慎重に針を進める。

もう祈りの言葉なんて忘れた。だけど点滴の針を進めるとき、僕は確実に祈っている。

こんな数ヶ月を送っていた。


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二度とは行かぬ場所。


いつも使ってた、印鑑付きのボールペンをスクラブに付けたまま、クリーニングに出してしまったことに気づいた。びわ湖医科大学から卒業記念にもらったものだ。

クリーニング業者に電話して回収しようと院内PHSを取り出して、電話するのをやめた。

まぁいいか。

僕はびわ医には受け入れてくれたことを感謝しているものの、マッチング面接の際に手ひどくやられてなんだか複雑な想いを持っているのだ。

マッチング面接のとき、留年したことをこっぴどく追求され、暗に来るなと示された。留年したことだけではなく、再受験したことまでも否定された。

もう二度と行くものか。

どうして留年したの?

二人がかりで何回も追求され、こてんぱんにやられた。元々マッチングの滑り止めとして受けたからいいものの、大学病院で大勢で楽しく研修するという淡い想いはなくなった。

持病のせいで計3年以上は寝込みました。留年中は歯を磨く気力さえなくて、奥歯を二本失いました。

どんだけ言おうか迷った。でも言ったところでかえって逆効果だったろう。

医者は医者の病気に厳しい。


マッチング面接を終えて、僕はもう二度とここには来ないんだろうなと思った。免許をとったらさようなら。

勉強を終えて、夜のびわ湖沿いの道路をドライブ。かけがえのない時間だったけれど。

若い頃は今いる場所をやがて苦々しく思い出すなんてことがあるとは思いもよらなかった。

そんなことを想いながら、PHSをしまい、アマゾンで新しい印鑑付きのボールペンを注文した。

いつの日かこの場所を出ていく
僕ら、だから


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まぁそんなもんか。

「実習に来ている看護学生の挨拶を無視する」
これは看護師のデフォルトらしい。一部の病院だけかと思ってたけど、研修先の病院で見かけた。挨拶を無視するって何か人間としておかしいんじゃないかと思うのだけど、雰囲気の悪い病院では当たり前に行われている。
救急実習では荷物を休憩室に置かせてもらえなかったりした。なので水を飲むことも許されず、16:30まで休憩なしということがあった。夏の暑い時期だったから、フラフラになりながら脱水症の患者さんの対応をしていたが、その奥の休憩室では看護師たちが和気あいあいと談笑していた。
その部署の師長は上の医師には媚を売り、研修医には自分がやるべき雑用を押し付けていた。採血に手間取ってたりしたら無言で体当たりをしてきたり。
まぁこんなものかもしれない。
こんな病院に残るわけがない。残ったとして、ガラッと対応を変えられても気味が悪いだけだ。

思えば癖の強い医療者ばかりが集まった病院だった。挨拶をしない医師は当たり前のようにいるし、患者さんの食事量が足りていないので変えてよいかと許可をとったら吐き捨てるように、「そんなもん、どうでもええわ」と言われたり。

サラリーマン時代と比較すると、医師のほうが金銭的にもやりがい的にも恵まれているけど、おかしな人間がいる率が高いのは病院だと思う。パチンコとキャバクラの話しかしなかったサラリーマン時代の上司が可愛く思えてくるほどだ。

多分違いは客商売かそうじゃないかなんだと思う。黙っても患者さんがくる、地域医療の要みたいな病院だから。これが競争率の高い、都会の病院とかだとまた話は違うのかもしれない。

地域医療に関わる医療者というと、Dr.コトーみたいなのを思い浮かべるのだろうけど大きな間違いだよなぁ。

医療者が聖人君子である必要はないけれど。大きな期待を持って医療現場に入ったから、その分ショックも大きいのかもしれない。

まぁまだ道のりは長い。医者を単なる生きていくための職業と捉えるのもつまらないし、かと言って自分の人生を投げ売ってまで入れ込むのも違うと思う。程よいバランスで仕事ができるようになるといいな、と雨の日に思うのであった。
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