昔の話をしよう。

京都から都落ちのような心境で、実家にもどってから約半年間、僕は引きこもり状態にいた。その時の話をしようと思う。
大学進学にあたって、僕がわざわざ京都の大学にこだわったのは「自由な校風が自分にあっていると感じたから」「家から出たい」「親への反抗」という三つの理由があった。がちがちの考えに縛られている、自由な発想のない学友。そういう風に学友を捉えていた僕こそががちがちな心の持ち主だった。
それなりにペーパーテストのレベルは高い大学だった。高校三年生の時、模試の判定ではE、よくてD判定しか出てなかった。要するに「なにバカな夢を見てるんだ?キミは」という状態だった。だけど僕と担任の先生の二人だけは必ず行けると信じていた。なぜそこまでこだわったかというと、「それなりの大学なのだから、誰もケチをつけられないだろう。これで家をでる、正当な理由を作れる」という意図もあった。
浪人時代は今と同じような勉強スタイルをとっていた。朝の9時から夜の9時。毎日朝起きては、鏡で自分の目を見つめ、「お前は絶対夢を叶えられる」と言い聞かせていた。
その努力が実り、無事に京都へ逃亡できた。大学に入ってから、僕は今後の人生における重要な事柄を学ぼうと決めていた。勉強はそれなりに大事。それよりも大事なのは自分の精神性。僕は自分を変えたかった。癒すべき課題が残っていたのだ。京都で僕は自分を変える。ここで僕は大人になる。そう思って、一生懸命にやった。工学部の単位として認められない、文学部の講座にでたり、写真をやったり、真剣に人を愛して別れたり、長期に渡って自分を見つめ直すために徒歩旅行をしたり、遠慮なくけんかをし、また元に戻れる友達を作ったり、卒業論文では一ヶ月間研究室に寝泊まりして自力で英文マニュアルが五冊もあるソフトウェアを使いこなしたり、芸術大学の人たちと着物ファッションショーの企画を行ったり、etc...
だけど何も変えられなかった。
着物ファッションショーが終わって、ふと我に返ったら急にそういう想いに囚われた。
大学の友達は無難に大学院に進学した。僕は進学する代わりに自分に二年の期間を与えていた。肩書きもなにもない時期を使って、自分の課題をの最終仕上げをしようと考えていた。
だけど何も変えられなかった。
それは適切な考えではなかったと思う。しかしその時、そういう想いにはまってしまったのだ。
そして都落ちのような心境で実家に帰った。負けた。負け犬だ。そういうこと以外には何も考えられなくなり、僕は希望もなく、ただひたすら布団にくるまっているという日々を送っていた。そういう半年間だった。
その半年の間、考えることといったら「なんとか打開しよう」「しかしどうやって?」「どうせ何やってもムダだ」「あぁ明日起きたら、僕は死んでいたらいいのに」ということばかり。
日に当たらず、運動もせずにいたのだからろくな考えも出てくるわけがない。人と話もしていないのだから、生きる気力が湧くわけがないし、人との対話を通して自分の考えの偏りを感じ、建設的ないいアイデアを得られるわけもなかった。
そんな中、母がそっと救いの手を差し伸べてくれた。「病院に行ってみれば?一人で不安なら、母さんがついていくから」
初めはかたくなにその申し出を拒否していた。自分の問題は自分で解決する。それには誰の助けもいらない。そういう変なプライドが僕を束縛していた。
しかし、ある日ようやく自覚した。今の状態に関して、自分でできることは全てやりつくした。そしてこれ以上はもうできない。僕は今の状態に対して無力だ、と。
真っ青な海をゆらゆらと沈んでいき、海底の柔らかな砂地の上にふわっと身を沈めた。そんな感じがした。AAに通った人が書いた本の中で「底につく」という表現があったが、僕もそんな体験をしたのだろう。
抗うつ剤を飲み続け、先生が勧めてくださったように定期的な運動をし、外に出て、「こんな状態に陥った自分の姿を見たら誰かが噂する」という自分の偏った思いこみを払拭した。その先生は再受験生だった。しかも50代で国立の医学部に入学していた。
「年齢とかはなんにも関係ないんですよ。意志さえあれば、医師になれるんです」とちゃめっけたっぷりに話してくれた。
あぁ、空気がおいしい。そう思えるようになり、やがて僕は夢を持てるようになった。チャンスはいくらでもある。いくらでも挑戦できる。失敗してもいい。挑戦する意志さえあれば、そしてその意志を保つ努力さえすれば物事はうまくいく。
「ものごとはうまい方向にしか転がらないのよ」。これはフレミング左手の法則以上に大切な、母から教わった「ヒロコ第一法則」だ。
僕は医者になる。もう一度、大学で必死に勉強したい。医者になって、死ぬまで働き続けたい。貧乏でも構わない。今まで色んな人から受けた恩を、世の中に倍返ししたい。
僕は素晴らしい夢を持てたと思う。
次に具体的な中期目標を立てた。
「勉強資金を貯めるために会社に入る」
決めてからは早かったと思う。まぁ昔から一度決めたら猛スピードで突っ走るタイプだったからかもしれんけど。規則の緩い、中小企業に就職し1年間で130万円をためた(ボーナス貰ってから辞めたのだけど、ボーナスを受け取る際に「来月をもって辞めます」と告げたらその場でボーナスを半減された。ケチな社長だなぁ)
苦しんでいた時期はもう、良い思い出としてしか残っていない。
当初の予定通り、医学部受験に1年半使った。希望する医学部に合格できると夏までの判定で確信した。A,B判定以外は出ていない。
あとは健康管理。入学式に着るスーツも手元にもどってきたし、吉報を知らせる日は近い。
皆さんお楽しみにしといてね。
昔の話をしてみた。