医学部を卒業して。
だいぶ遅くなったけど、医学部を卒業して感じたことについて書こうと思う。
びわ湖医科大学に合格した時は「僕の人生の中で数少ない勝利のうちの一つだ。」と感じた。
その感動を忘れないために、わざわざアマゾンで額縁を買って合格証書を部屋に飾ったほどである。
しかし、その合格証書は医学部在学期間において、しばしば僕を苦々しい想いにさせた。
何回か寝込んで「もう医学部をやめよう」と考えたからだ。
「あまりにも大きな夢を持ちすぎてしまったのではないか」
そんなことを考えながら布団の中でのたうち回る日々が年単位で続いた。
その時期は歯を磨く気力すらなかったので、この歳にして歯を2本失う羽目になった。
しかし、僕は経験として知っていた。やがて起き上がれると。
寝込んだことによるメリットというのはそれくらいだ。
思えば一つ目の大学にいたときも僕は自分が今後抱えてゆくもののせいで苦しんでいた。その時はまだ正体が明確ではなく、まるで見えない敵と暗闇の中で戦っている気分であった。
自分の中に何が潜んでいるのか。それが知りたくて長期休暇にはリュックサックに寝袋をくくりつけてひたすら歩く一人旅にでたりした。歩いている最中はなんだか苦悩から解放されているようで気分がよかったが、目的地についてしまうとまた同じ気分に陥っていた。
一人旅では足が水ぶくれだらけになったり、花火で寝ているところを襲撃されたり、親切な人にお世話になったりして、そういう経験は自分を豊かにしたが、さりとて自分の中に潜んでいるものを征服できるわけではなかった。
一つ目の大学を卒業後、紆余曲折してようやく僕は自分が今後抱えてゆく者の正体を知った。
そして「どうしよう」と戸惑った。
色々本を読み漁ったり、情報を集めていく過程で僕は悟った。長期戦になると。長期戦に持ち込んで、敵の体力を消耗させるのを待つしかない、と。そしてあまり負荷のかからないように戦うしかない。
昔読んだ本にこう書いてあったのを思い出した。「長距離歩くには2つしか方法はない。ゆっくり歩くか、もっとゆっくり歩くかだ。」
僕は後者を選ぶことにした。
自分が抱えてゆく者に対しての対処はそれでいいとして、ではどう社会に出るのか。
次の問いかけはそれだった。
そして冷静に自分の強みを分析しはじめた。その結果わかったことは「頭脳で勝負する人たちよりも理解は遅いが、勉強をすることが好きだ」ということだった。ならばもう一回ちゃんと勉強してみよう。そう考えた。
そんな時に医学部再受験した先生に出会った。この道がいいかもしれない、とひらめいた。
色々情報を集めるうちに医学部というのは年齢差別のあるところもあるが、土地勘のある関西でなおかつ年齢に寛容な医学部があるのを知った。びわ湖医科大学である。
しかし年単位で寝込んだことのある僕の脳は最初の方はうまく機能してなかった。明らかに18,19の時と比べて思考力は落ちた。「なら思考力を必要とする数学はそこそこにして、他科目で稼ごう」。そう考えて僕は独学を開始して、びわ湖医科大学の入試に挑んだ。勉強を開始するうちに脳の機能は回復していて、結局センターは
英語 220(リスニングあり)
数学 176
国語 192
物理 95
化学 94
倫理 98
計 875/950
となり、過去に受けたどのセンター試験よりも良かった。
二次試験の手応えもよく、僕は無事合格することができた。
入学した時、僕は上から四番目の歳だった。
「このまま普通に勉強していれば卒業まで行き着ける」。そう思った。しかし甘かった。僕はハンデがあったのだ。
また再び年単位で寝込むことがあった。
事情を知らない人からバカにされることもあった。
「ゆっくり、さもなくばよりゆっくり」。そう自分に言い聞かせていても時々心がゆらいだ。
「あまりにも大きな夢を持ちすぎてしまったのではないか」
そんなことを考えて自分で退学届をプリントアウトした。
ちょうどその時期に、僕よりも歳上で入学した人が退学してしまった。
そのこともあって、僕はかなり際どい所まで行っていたのだが友人の堀木(仮名)が止めてくれた。僕は友人には恵まれていた。
やがて座学の終了も見えてきて、病院実習も終わり、僕は晴れて卒業式まで迎えることができた。
今、合格証書の額縁スタンドの前には卒業証書が飾ってある。僕の人生の中で数少ない勝利のうちの一つだ。
今年一年は大きな喜びもあった。明日の誕生日おめでとう、僕。そして多くの人に伝えたい。
ありがとう。
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