そわそわ。
というわけで前期試験が終わりました。「手堅くガッチリ」「小さく当ててコツコツ」と点を取ってきたので大丈夫でしょう。とは言っても試験場には魔物が住んでいるので大口は叩けませぬ。今は結果待ちで、地に足がついてないような日々です。
試験が終わったらしようと思ってたことは多々あったんだけど、いざ終了してみるとやる気も起きず、ぼーっと居間でテレビを見てたりする。流石にテレビにも飽きたのでmiso-Gとしても恥ずかしくないような腕時計を見に町田のビックカメラに行くことにした。後で書くけどいつも使ってる手巻きの時計が壊れてしまったのだ。スポーツ用にGショックはあるものの、これとスーツはちょっとミスマッチ。
そうそう。20代の頃はたとえ胸に「ガッツ日本海。」と書かれたTシャツだろうと着れて平気で街を歩けたけれど、miso-Gになったとたんに弱気に。まず第一にTシャツで居ることがなんとなく落ち着かなくなり、ちゃんとしたシャツを着たくなりました。タモリが「大人になると半袖とか恥ずかしくなる」といってたけど、今になってわかる気がする。そこそこ生きてきたのだから身なりにも気を遣わなければならないな、と思うようになってきた。これと同時に言葉遣いと身の振る舞いにも。miso-Gになってもだらけた言葉を使って良いのはDAIGOだけです。
町田に行くのは約二年ぶり。志望校に合格が決まるまでは行かないつもりだったのだけど少々フライングしてしまった。仲の良かったホームレスさんとかその他の人々は元気なんだろうかと少しどきどきしながら、彼らが集まっていた横浜線の東急ハンズ側の改札口に行ってびっくりした。広場にはイスが無くなっていた。隣の公園もイスが無くなってた。そして集まる場所が無くなったためか、いつも居た人々はいなかった。そこをねぐらとしていた、毎日酔って人の悪口ばかり言うホームレスのJさんすら居なかった。しばらく立ちつくしていたのだけど、誰一人として見知っていた人を見つけることができなかったので去ることにした。二年経ってもいつもと同じように彼らは居るものだと思っていたけれど、状況は変わるものだ。また違う街でホームレスをやっているのだろうか。元気だといいな、と思いながら横浜線へと戻った。
京都アンダーグランド編
23 月
新幹線で京都まで。京都で乗り換えて滋賀県の瀬田へ。初めて瀬田に行く。京都から30分で着くことに感激。しかし1時間に4本ということがネック。
瀬田というのはなんとなく福井っぽい雰囲気で少し不安になった。まぁ6年間勉強するには良い場所かもしれない。滋賀医科大学が紹介するホテルにはとらないで、クオリティワン瀬田というビジネスホテルをネットで予約。試験前はピリピリするし、「がんばってください!」「必勝!」とか言われるのは嫌だったので敢えて違うホテルに。ここのフロントの対応の良さはピカイチだった。(ちなみに最悪は「ウィークリーマンション町○」フロントの人はロビーに響き渡るほどの声で客の悪口を言っていた。)
その後友人と会い、バーで夕飯。酒、飲んだ。
24 火
試験前日。ぴりぴりしながら近くのダイエーで買い物。macを持ってきたのだけど、映画のファイルを持ってくるのを忘れる。僕は寝る時、映画が流れていないと寝れないたちなのだ。ブックオフで安いDVDを買うかしばらく悩み、買わないことにした。緊張したけど1時には眠れた。
25 水
朝食をホテルで取り、さあタクシーで行こうかとエレベーターに乗った際に腕時計を扉に打ち付けてしまった。ガラス面に傷いったかなと慌てて見てみたら時計が止まってた。が、鞄には100円ショップで買った卓上時計が入ってたので難を逃れる。試験会場には時計がなかった。もし僕が時計を二つ持っていかなかったら完全にアウトだったろう。
試験科目は数学と理科2科目。数学は手堅くガッチリ点は取れた感触が。物理と化学も基本に忠実な問題だったのでコツコツと点を稼いだ。もとからセンターで30点稼いでいるので二次は半分でいいのだ。終わった時は思わずニマニマしてしまった。
26 木
英語とグループ面接。英語は大問2が難しかったが、半分取れれば良い試験なのでそんなに焦りは無かった。落ち着いて一問一問解いていった。英作文は130文字という毎年難度最高レベル。実を言うと英作文対策などしたことはない。ただひたすら今まで読んできた英文を思い出して書いていった。英作文対策なんて英文を毎日読み込めばいいだけだと僕は思う。
グループ面接は日本語の乱れについてだった。面接は点数化されず、あからさまに危ない人を除くためなのでリラックスして受けた。
試験が終わり、京都で友人と酒を飲む。せっかく京都に来たんだし、ということで探検気分でゲイバーに。なんというかキャバクラとかよりも罪悪感はないし、店に漂う中性的な空気も悪くなかった。例のごとく間違われる。友人は最初はハラハラしていたけど、そのうち酔いが回りカウンターで寝込む。このまま置いて帰ったら面白いんじゃないのかなと魔が差した。
27 金
ホテルを京都に移す。今度は女友達と「カルシウムハウス」という京都では有名なニューハーフクラブに。お姉様方は綺麗だった。少し女友達は自信を無くしていた模様。
飲み放題ということでよく飲んで、ショーで大いに笑い、店を出た後に少しお茶でも飲もうかということに。ここから飲み放題のウィスキーが効き始める。つもる話もそこそこに解散して、ホテルのユニットバスで鼻からウィスキーを出した。鼻うがいで慣れているせいか、口よりも鼻からよく出た。しかししみた。
28 土
また友人と会う。いつも飲む3人が2年ぶりに集まったということでおおいに盛り上がる。三軒はしごしたら友人その2が潰れた。途中でラーメンを入れなきゃいかんということに気づく。うわごとが英語であったことに感心する。アメリカンジョークを言ってみたらうけていた。この件で4,5年は酒に花が咲きそうだ。
1 日
朝起きて、もらったチョコレートを食べていたら二度寝してしまった。慌ててチェックアウトしたら背広を忘れて引き返す。阪急乗ったら間違えて十三で降りてしまう。結局1時間の遅刻。
友人と通天閣に。有名なたこ焼きやを三軒まわり、たこ焼きを計16個、お好み焼きを一枚食べる。危うく急性粉モン中毒になるところだった。最後に食べたたこ焼きが殺人的に熱かった。アメリカなら裁判が起こるレベル。
通天閣のある新世界は異世界だった。ブランド風財布が売っていたり、背広が300円で売っていたり。昔友人が「新世界では靴が片方だけで売られている」と言ってたがあながち嘘ではなさそうな気がしてきた。顔面血だらけなおばちゃんが両脇を抱えられて歩いていた。スリリング。
2 月
夜行バスにて帰宅。フルスイングで眠れた。
試験が終わったらしようと思ってたことは多々あったんだけど、いざ終了してみるとやる気も起きず、ぼーっと居間でテレビを見てたりする。流石にテレビにも飽きたのでmiso-Gとしても恥ずかしくないような腕時計を見に町田のビックカメラに行くことにした。後で書くけどいつも使ってる手巻きの時計が壊れてしまったのだ。スポーツ用にGショックはあるものの、これとスーツはちょっとミスマッチ。
そうそう。20代の頃はたとえ胸に「ガッツ日本海。」と書かれたTシャツだろうと着れて平気で街を歩けたけれど、miso-Gになったとたんに弱気に。まず第一にTシャツで居ることがなんとなく落ち着かなくなり、ちゃんとしたシャツを着たくなりました。タモリが「大人になると半袖とか恥ずかしくなる」といってたけど、今になってわかる気がする。そこそこ生きてきたのだから身なりにも気を遣わなければならないな、と思うようになってきた。これと同時に言葉遣いと身の振る舞いにも。miso-Gになってもだらけた言葉を使って良いのはDAIGOだけです。
町田に行くのは約二年ぶり。志望校に合格が決まるまでは行かないつもりだったのだけど少々フライングしてしまった。仲の良かったホームレスさんとかその他の人々は元気なんだろうかと少しどきどきしながら、彼らが集まっていた横浜線の東急ハンズ側の改札口に行ってびっくりした。広場にはイスが無くなっていた。隣の公園もイスが無くなってた。そして集まる場所が無くなったためか、いつも居た人々はいなかった。そこをねぐらとしていた、毎日酔って人の悪口ばかり言うホームレスのJさんすら居なかった。しばらく立ちつくしていたのだけど、誰一人として見知っていた人を見つけることができなかったので去ることにした。二年経ってもいつもと同じように彼らは居るものだと思っていたけれど、状況は変わるものだ。また違う街でホームレスをやっているのだろうか。元気だといいな、と思いながら横浜線へと戻った。
京都アンダーグランド編
23 月
新幹線で京都まで。京都で乗り換えて滋賀県の瀬田へ。初めて瀬田に行く。京都から30分で着くことに感激。しかし1時間に4本ということがネック。
瀬田というのはなんとなく福井っぽい雰囲気で少し不安になった。まぁ6年間勉強するには良い場所かもしれない。滋賀医科大学が紹介するホテルにはとらないで、クオリティワン瀬田というビジネスホテルをネットで予約。試験前はピリピリするし、「がんばってください!」「必勝!」とか言われるのは嫌だったので敢えて違うホテルに。ここのフロントの対応の良さはピカイチだった。(ちなみに最悪は「ウィークリーマンション町○」フロントの人はロビーに響き渡るほどの声で客の悪口を言っていた。)
その後友人と会い、バーで夕飯。酒、飲んだ。
24 火
試験前日。ぴりぴりしながら近くのダイエーで買い物。macを持ってきたのだけど、映画のファイルを持ってくるのを忘れる。僕は寝る時、映画が流れていないと寝れないたちなのだ。ブックオフで安いDVDを買うかしばらく悩み、買わないことにした。緊張したけど1時には眠れた。
25 水
朝食をホテルで取り、さあタクシーで行こうかとエレベーターに乗った際に腕時計を扉に打ち付けてしまった。ガラス面に傷いったかなと慌てて見てみたら時計が止まってた。が、鞄には100円ショップで買った卓上時計が入ってたので難を逃れる。試験会場には時計がなかった。もし僕が時計を二つ持っていかなかったら完全にアウトだったろう。
試験科目は数学と理科2科目。数学は手堅くガッチリ点は取れた感触が。物理と化学も基本に忠実な問題だったのでコツコツと点を稼いだ。もとからセンターで30点稼いでいるので二次は半分でいいのだ。終わった時は思わずニマニマしてしまった。
26 木
英語とグループ面接。英語は大問2が難しかったが、半分取れれば良い試験なのでそんなに焦りは無かった。落ち着いて一問一問解いていった。英作文は130文字という毎年難度最高レベル。実を言うと英作文対策などしたことはない。ただひたすら今まで読んできた英文を思い出して書いていった。英作文対策なんて英文を毎日読み込めばいいだけだと僕は思う。
グループ面接は日本語の乱れについてだった。面接は点数化されず、あからさまに危ない人を除くためなのでリラックスして受けた。
試験が終わり、京都で友人と酒を飲む。せっかく京都に来たんだし、ということで探検気分でゲイバーに。なんというかキャバクラとかよりも罪悪感はないし、店に漂う中性的な空気も悪くなかった。例のごとく間違われる。友人は最初はハラハラしていたけど、そのうち酔いが回りカウンターで寝込む。このまま置いて帰ったら面白いんじゃないのかなと魔が差した。
27 金
ホテルを京都に移す。今度は女友達と「カルシウムハウス」という京都では有名なニューハーフクラブに。お姉様方は綺麗だった。少し女友達は自信を無くしていた模様。
飲み放題ということでよく飲んで、ショーで大いに笑い、店を出た後に少しお茶でも飲もうかということに。ここから飲み放題のウィスキーが効き始める。つもる話もそこそこに解散して、ホテルのユニットバスで鼻からウィスキーを出した。鼻うがいで慣れているせいか、口よりも鼻からよく出た。しかししみた。
28 土
また友人と会う。いつも飲む3人が2年ぶりに集まったということでおおいに盛り上がる。三軒はしごしたら友人その2が潰れた。途中でラーメンを入れなきゃいかんということに気づく。うわごとが英語であったことに感心する。アメリカンジョークを言ってみたらうけていた。この件で4,5年は酒に花が咲きそうだ。
1 日
朝起きて、もらったチョコレートを食べていたら二度寝してしまった。慌ててチェックアウトしたら背広を忘れて引き返す。阪急乗ったら間違えて十三で降りてしまう。結局1時間の遅刻。
友人と通天閣に。有名なたこ焼きやを三軒まわり、たこ焼きを計16個、お好み焼きを一枚食べる。危うく急性粉モン中毒になるところだった。最後に食べたたこ焼きが殺人的に熱かった。アメリカなら裁判が起こるレベル。
通天閣のある新世界は異世界だった。ブランド風財布が売っていたり、背広が300円で売っていたり。昔友人が「新世界では靴が片方だけで売られている」と言ってたがあながち嘘ではなさそうな気がしてきた。顔面血だらけなおばちゃんが両脇を抱えられて歩いていた。スリリング。
2 月
夜行バスにて帰宅。フルスイングで眠れた。
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まだ行ったことがない。
最近は、観光地化してるようですね。
風邪に気をつけてくださいよ。
あ、花粉は大丈夫?
通天閣は展望台が40分待ちでした。大盛況でした。
いや~な季節になってきましたね。僕の方は鼻うがいのお陰でだいぶ軽いです。
試験も無難にいったようで本当に良かったです。とても充実な日々でよかったね☆
鼻からウイスキー。
よい子は真似しちゃいけまうぃっしゅ。
一つ質問ですが。
バスでお帰り遊ばしたのが2月。タイムマシーンですカァ☆
やる事がなくて、今日も町田に来ています。
鼻をアルコール消毒。玄人しか出来ない技です。
2月ではなく、2日の月曜日でっしゅ。
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